地域密着が人気を支える!国際化が進む横浜F・マリノス

神奈川県を代表するJリーグのクラブの中で、まず思い浮かぶことが多いのは「横浜F・マリノス」ではないでしょうか。

横浜F・マリノスはその名の通り神奈川県横浜市をホームタウンとしていますが、近隣の横須賀市や大和市もホームタウンになっています。

前身は日産自動車サッカー部で、1991年にプロチームとして設立され、1999年に同じ横浜市をホームタウンとする横浜フリューゲルスを吸収合併し、現在に至ります。

チーム名の「マリノス」はスペイン語で「船乗り・水夫」などを意味し、「F」は吸収合併したフリューゲルスの頭文字をとってつけられました。

チームカラーは青・白・赤のトリコロール(3色)で、これはもともと親会社の日産自動車のコーポレートカラーとして使われてきた色です。

オリジナル10の1つですが、現在までクラブの増加に伴う他のオリジナル10の降格がある中で、鹿島と並んで一度も降格した経験がないクラブです。

運営会社は株式会社横浜マリノスで、日産自動車の出資によって設立されましたが、2014年からはマンチェスター・シティーFCを運営するCFGが運営に関わっています。

そのため、2017年現在においては外国人選手に様々な国籍の選手が加入しており、チーム内の国際化が見受けられます。

ホームスタジアムは横浜国際総合競技場(日産スタジアム)で、そこが完成するまでは三ツ沢公園競技場をホームとしていました。

横浜F・マリノスは地域密着の活動をしているクラブの1つでもあり、県内にサッカースクールを数か所開校しており、育成組織もつくられています。

日産自動車サッカー部時代から続いているもので、フリューゲルスとの合併後も一貫して行われており、クラブの主力選手の中には育成組織出身者もいます。

また、地域密着の活動としてはサッカー教室の開講を行っており、地域イベントへの参加や学校との業務提携なども行っています。

クラブとしては1972年に創設され、1991年からJリーグに加盟し、1993年のJリーグ開幕試合では見事勝利を収めています。

1995年には1stステージで優勝を果たし、チャンピオンシップでも勝利し、クラブ初のJリーグ優勝を果たしました。

1999年に横浜フリューゲルスと吸収合併を行い、クラブ名を「横浜マリノス」から現在の名称に変更し、新たな歴史が始まりました。

2001年にナビスコカップで初優勝を飾り、2003年には1stステージ・2ndステージの双方で優勝し、完全優勝で年間王者になりました。

それ以降はクラブ内で監督の後退がたびたびおこなわれるようになり、リーグ戦の年間成績では低迷が見られました。

2013年には、天皇杯の決勝で広島に勝利し、日産自動車サッカー部時代を含む7度目の優勝を飾り、以降も上位を狙う戦いを繰り広げています。

これまでのタイトルは、Jリーグ年間優勝3回、ステージ優勝合計5回、天皇杯優勝2回、リーグカップ優勝1回と、国内では優秀な経験があります。