総合型スポーツクラブを目指す!地域密着のアルビレックス新潟

新潟県ではスポーツに対する関心が高く、サッカーも人気があり、Jリーグでプレーしている「アルビレックス新潟」は、多くのサポーターに応援されています。

ホームタウンは、ホームスタジアムのデンカビッグスワンスタジアムがある新潟県新潟市と、クラブハウスがある北蒲原郡聖籠町が指定されています。

チーム名の「アルビレックス」は、1995年にはくちょう座の二重星アルビレオに由来して「アルビレオ新潟」と命名されましたが、商標権の問題からラテン語で王を意味する「レックス」を掛け合わせて、現在の名称になりました。

Jリーグ百年構想による総合型地域スポーツクラブを目指しており、女子サッカーチームのアルビレックス新潟レディースやバスケットボール・Bリーグの新潟アルビレックスBBなどを持っています。

1955年に新潟明訓高校OBを中心に創部された新潟イレブンサッカークラブが前身で、1982年に社会優良団体として文部大臣賞を受賞しました。

1991年に新潟県サッカー協会が、2002年度ワールドカップの開催地に立候補することを表明したのがきっかけで、招致活動の一環としてプロチームの創設が検討されました。

1996年に新潟イレブンサッカークラブを母体に運営法人を設立し、地域リーグやJFLを勝ち上がり、1999年よりJリーグに参加します。

1999年からのJ2シーズンでは、昇格を狙うも惜しい結果が続き、毎年のように努力を重ねていくうちに、2003年にJ2優勝とJ1昇格を決め、この時のホームスタジアムには多くのサポーターが駆けつけました。

2004年からはJ1でプレーすることになり、この年は残留を決めますが、新潟県中越地震が発生したことで、10月・11月に開催予定のホーム戦が代替地で行われました。

2007年には攻撃的なチームのスタイルが存在感を示すようになり、その強さを生かした結果、クラブとしては最高の年間6位になりました。

2008年には残留争いを繰り広げることになりましたが、翌年の2009年には攻撃的なフォーメーションを生かして、上位争いに入るようにもなりました。

2010年には11試合連続無敗のクラブとしての記録を作りましたが、その後は主力選手の流出が影響し、翌年から低迷が続きました。

2013年には途中から調子を上げたこともあって年間7位になりますが、翌年は主力選手のけがの影響で12位、その翌年は残留争いに入るもなんとか残留します。

2016年に入ってからは、前半から低迷が続くようになり、後半になってからは残留争いを繰り広げることになり、年間15位でなんとか残留ができました。

2017年からは、序盤から低迷が続き、早くも降格するのではないかと心配されるようになり、現在も大変な戦いを強いられています。

新潟はこれまでのJリーグでの歴史を振り返ると、J1での成績では不調の時が長く感じられますが、その間に調子の良かった時もあり、かなり特徴的なデータとなっています。