Jリーグを代表するクラブに鹿島アントラーズがあり、茨城県鹿嶋市や周辺地域をホームタウンとするクラブとして、現在まで活動しています。
1947年に創立した住友金属工業のサッカー部が全身で、1991年のJリーグ加盟時に現在の名称になり、運営会社も設立されました。
ホームタウンは当初から鹿嶋市など複数の自治体が指定され、現在では複数の自治体でホームタウンを構成するのは当たり前になりましたが、当時は極めて異例でした。
Jリーグ誕生時から加盟しており、他の加盟時からのクラブと合わせて「オリジナル10」の1つとして、現在までその地位を確立しています。
ホームスタジアムは茨城県立カシマサッカースタジアムで、サッカー専用のスタジアムで、当クラブの試合が行われています。
チーム名の「アントラー」は英語でシカの枝角を意味する言葉で、鹿嶋神宮の神鹿の枝角が茨城県の「茨」をイメージさせることに由来しています。
鋭い枝角で相手に立ち向かって勝利してほしいという願いが込められており、そのことから現在でも常勝軍団としての方向性を示しています。
日本国内には、サッカーのタイトルがJ1優勝・Jリーグカップ・天皇杯の3つがありますが、鹿島はこの3大タイトルで優勝経験があります。
しかも、3大タイトルでJリーグ最多の19冠で各タイトルで最多優勝を誇っており、その他のタイトルと合わせると最多の28冠を獲得しています。
国際大会でもその存在感を生かしており、2016年度のFIFAクラブワールドカップではアジア勢初の決勝進出、準優勝をしています。
1947年に創設された住友金属工業サッカー部が前身で、1973年に当時の日本サッカーリーグ(JSL)でプレーし、1975年に本拠地を大阪市から茨城県鹿嶋市に移転しました。
1989年にプロサッカーリーグ構想があがったのをきっかけに、鹿嶋市内に専用スタジアムを建設、1991年にブラジル代表(当時)のジーコが加入、Jリーグ発足時に現在の名称にしました。
1993年の開幕戦はホームで名古屋グランパスと対戦し、見事勝利を収め、本年度の1stステージで優勝するも、年間優勝は果たせませんでした。
その後の1996年では、1ステージ制のリーグ戦で初優勝、その翌年の1997年にはリーグカップと天皇杯で初優勝を果たしました。
2000年には、ジーコとともにプレーした経験があるトニーニョ・セレーゾが監督に就任し、Jリーグ発足以来初となる3大タイトル制覇を達成しました。
翌年以降も決勝進出や優勝を重ね、鹿島は常勝軍団のイメージを確立するようになり、毎年のようにタイトル争いを繰り広げました。
2007年からオズワルド・オリヴェイラが監督を務め、同年にリーグ優勝を果たしクラブが目標としていた10冠を達成しました。
2008年・2009年もリーグ優勝を果たしており、Jリーグ史上初となるリーグ3連覇を達成し、クラブとしても輝かしい記録になりました。
その後もタイトルを獲得しており、現在までその強さと理念を持って戦っており、Jリーグの歴史にも大きくかかわっています。