厳しい環境の中でプレーする!山梨を代表するヴァンフォーレ甲府

山梨県にもJリーグのクラブが存在しており、県全体で応援しているクラブとして、「ヴァンフォーレ甲府」があり、山梨県民を中心に人気があります。

1999年にJリーグに加盟、ホームタウンは「甲府市・韮崎市を中心とする山梨県全県」、ホームスタジアムは山梨中銀スタジアムです。

チーム名の「ヴァンフォーレ」は、フランス語で「風」と「林」のそれぞれの意味を持つ言葉を合わせた造語で、戦国時代の武将・武田信玄の旗印「風林火山」に由来しています。

ヴァンフォーレ甲府は、他のクラブのように特定の母体組織を持たないクラブで、地元企業を中心に小口で出資を受けています。

1965年に設立された甲府サッカークラブが前身で、1972年にJSL2部に、1992年にJFLに参入し、1995年から現在の名称になりました。

1997年に運営法人「ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ」を設立し、1998年にJリーグ加盟が承認され、翌年からJ2に参入します。

J2からスタートする1999年からは、成績で低迷するだけでなく、経営難に陥るなど財務状況が困難を極める結果となり、クラブとして幸先の良くないものでした。

2000年も成績が低迷しますが、それ以前に前年度末に経営危機問題が発覚し、クラブの存続が危ぶまれる事態に陥りました。

その後存続運動が起こり、2001年は条件付きでJリーグ参加が認められ、この年に経営危機問題は解決でき、クラブは存続できるようになりました。

2002年からは補強を積極的に行うようになり、成績は上位に入ることがよくあり、昇格を明確な目標にできるようになってきました。

2005年には昇格争いに入ることができ、自動昇格こそは逃したものの、その後の入れ替え戦で勝利を収め、J1昇格を決めました。

2006年からのJ1では、初めのシーズンは低迷が続き残留争いの末に残留を決め、翌年も低迷が続き、残留を目指すもJ2降格になりました。

2008年からJ2でプレーすることになり、もう一度J1で戦えるように取り組みますが、昇格争いをするもなかなか昇格できずにいました。

2010年は好調なチーム状況になり、その好調を維持しながら戦いを進め、J2で2位の成績を収め、J1昇格を決めました。

2011年のJ1では、監督の交代の影響もあって低迷になり、選手のプレーの質とチームの戦術が合わないことが問題となり、J2降格になりました。

2012年のJ2では、昇格を目指して取り組んだ末にJ2優勝を果たし、これはクラブとしては初となる優勝を果たしたことになります。

2013年からのJ1では、毎年のように残留争いを繰り広げますが、チームが伸び悩んでいる中でも粘り強い性格が垣間見えます。

甲府には様々な記録があり、2000年には19連敗(26戦未勝利)という記録をつくり、2012年には24試合連続無敗も達成しています。

様々な環境に置かれても、ヴァンフォーレ甲府は独特の存在感を示し続け、勝利にこだわりながら今後も戦い続けるでしょう。