強いチームへと変貌!実力のあるサンフレッチェ広島

広島には今ではJリーグで注目されているクラブの1つとなっているチームがあり、様々な経験をしてきた「サンフレッチェ広島」というクラブがあります。

1991年にJリーグに加盟し、マツダ(東洋工業)のサッカー部が前身で、リーグ発足当時から参加を続けるオリジナル10の1つです。

チーム名の「サンフレッチェ」は、日本語の「三」とイタリア語で「矢」の意味がある「フレッチェ(複数形)」を組み合わせたもので、戦国武将・毛利元就の「三本の矢」に由来しています。

運営会社は1992年に設立され、マツダやエディオンなどが株主となっており、ホームスタジアムはエディオンスタジアム広島です。

1938年に創設された東洋工業蹴球部が前身で、実業団時代から広島を代表するクラブとして存在感を示し、Jリーグ発足に合わせてプロクラブへと変わっていきました。

1992年からJリーグでプレーしますが、当時の選手層の薄さから低迷するようになり、その後はうまく立て直して勝利を増やせるようになりました。

1995年からは選手などへの人件費がネックになり、経営が大変厳しい状況になり、クラブとしては大変な時期でもありました。

その後は低迷がしばらく続くようになり、残留争いも毎年のように受けるようになり、2002年にはついにJ2降格になりました。

2003年はJ2で奮闘し続けて1年でJ1昇格を果たしますが、翌年は勝利を積み重ねることがうまくいかず、しばらく低迷が続きます。

2006年からはシーズン途中でオーストリア人のミハイロ・ペトロヴィッチが監督を務め、この年は残留を決めますが、翌年は入れ替え戦に敗れてJ2降格になりました。

2008年はチームの立て直しを図り、1年でJ1昇格を果たし、翌年のJ1では昇格チームでは当時最高の4位でシーズンを終えました。

このあたりから経営改革を進めるようになり、数年後に始まるクラブライセンス制度に合わせて累積赤字を解消するため、経営面で人件費の削減など様々な取り組みを行いました。

2012年からはクラブOBの森保一が監督を務めることになり、経営改革の影響から独特のスタイルを築くことになり、その努力が生かされJ1で優勝を果たします。

2013年はACLへの出場も影響して、リーグ戦では伸び悩む場面がありましたが、後に立て直すことができ、優勝争いの末に優勝し、2連覇を達成しました。

2014年はタイトルが取れなかったものの、2015年はシーズン開始から好調を見せ、この年のチャンピオンシップでも強さを発揮し、年間王者になりました。

しかし、森保体制にも限界が感じられるようになり、2016年には伸び悩みを見せてタイトルは取れないという結果になりました。

2017年に入ってからは、攻撃陣の不調により低迷し、森保監督がシーズン途中で退任となり、1つの時代が幕を閉じました。

広島は紆余曲折の歴史を歩み、近年はタイトルを獲得するなどの実績を積み重ねてきたので、これからも勝利に期待がかかります。