東日本大震災を乗り越えた!東北を代表するベガルタ仙台

東北地方にもJリーグのクラブがあり、2017年現在において東北で唯一のJ1クラブとして活躍しているのが、「ベガルタ仙台」なのです。

1999年にJリーグに加盟し、ホームタウンは宮城県仙台市、ホームスタジアムはユアテックスタジアム仙台となっています。

チーム名の「ベガルタ」は、仙台市の七夕まつりに由来し、織姫と彦星にあたる星の「ベガ」と「アルタイル」を合わせた造語です。

1988年に創部された東北電力サッカー部が前身で、1994年に東北社会人サッカーリーグと全国地域サッカーリーグで優勝し、翌年にJFLへ昇格します。

1995年にJリーグの準会員となり、クラブ名を「ブランメル仙台」に改称、1999年にJ2創設時に加盟するときに、現在の名称に変更しました。

1999年からJ2でプレーがスタートし、初年度は低迷したものの、翌年から成績は上昇傾向になり、2001年には東北のクラブで初となるJ1昇格を果たします。

2002年からJ1でプレーするも、J1では苦戦を強いられる結果となり低迷、最初は残留したものの、翌年に低迷が続きJ2降格になりました。

2004年からJ2でプレーすることになり、再びJ1で挑戦することを目標にしてきましたが、この数年で昇格争いに敗れる結果が続きます。

惜しい結果で昇格を逃しており、入れ替え戦をも逃す結果もあり、2008年には前年にヘッドコーチを務めた手倉森誠が監督に就任しました。

この年に再び昇格争いになりますが、自動昇格はならず、入れ替え戦に出場することになりましたが、勝利はなくJ1昇格はできませんでした。

2009年は「完全昇格」を目標にして戦い、J2で勝利を多く積み重ねていき、J2で優勝を果たし、J2歴代最多勝ち点を記録しました。

2010年から再びJ1でプレーすることになり、昇格初年度は苦戦を強いられるよう稲荷、最終成績を14位として残留を決めます。

2011年は補強をしてさらに強いチームにしようと決めましたが、ホームで開幕を迎えた3月11日に東日本大震災が発生し、リーグ戦が中断され、クラブの活動も停止しました。

選手たちは練習以外の時間にボランティア活動を行い、被災地を励ます活動をつづけ、リーグ再開後は被災者を勇気づけるような戦いを見せます。

この年のシーズンはクラブ史上最高の4位となり、震災をきっかけにクラブが躍進するようになったことで、東北が勇気づけられました。

2012年は前年の強さを生かして、上位を維持する戦い方を見せており、最終成績は過去最高の2位になり、AFCチャンピオンズリーグの出場権を獲得しました。

2013年はACL出場など不慣れな状況があったことで選手が負傷し、成績に関しては低迷が続くようになり、翌年以降も体制が変わってからも低迷が続きます。

現在では低迷が見られますが、東日本大震災をきっかけにクラブの心境が大きく変化したことは、これまでの実績で明らかになっており、J1に定着できるような取り組みも見られます。