独特の強さを持つクラブ!伝統のある湘南ベルマーレ

神奈川県には横浜F・マリノスや川崎フロンターレといった強豪クラブがありますが、これらに引けを取らない存在感を示しているクラブが県内にあり、それが「湘南ベルマーレ」です。

ホームタウンは1999年までは平塚市のみ、2000年からはJリーグで広域ホームタウン制度が始まり、厚木市や小田原市などもホームタウンに指定され、2017年現在は県西部の9市11町がホームタウンになっています。

フジタ工業サッカー部が前身で、1994年から「ベルマーレ平塚」の名称でJリーグに加盟し、2000年に現在の名称になりました。

ホームスタジアムは「Shonan BMW スタジアム平塚」で、チーム名はラテン語で「美しい(べラム)」と「海(マーレ)」を合わせた造語となっています。

1968年に創部された藤和不動産サッカー部が前身となり、1975年にフジタ工業サッカー部に改称し、JSLや天皇杯で優勝を経験します。

1992年にフジタが全額出資して運営会社を設立し、翌年にJリーグの準会員となり、ベルマーレ平塚として1994年からJリーグに参加することになります。

1994年のリーグ戦では、成績で上位に入ったことから「湘南の暴れん坊」と称され、以降は国内や海外で活躍する選手を多く輩出しました。

1999年には、メインスポンサーのフジタが経営再建のために運営から撤退し、新体制でクラブが運営されることが決まりました。

1999年はクラブにとっては成績で低迷するようになり、年間成績の結果でJ1最下位となり、J2降格が決まりました。

2000年からはJ2でプレーすることになり、チーム名が「湘南ベルマーレ」になり、ホームタウンの範囲が拡大し、新たなスタートを切りました。

J2降格以降はチームとして伸び悩む時期になり、長期間で勝利を積み重ねるのが難しい状況になり、昇格の困難さが目立ちました。

選手の不調や戦術の失敗などがあり、長らく苦しい戦いをしてきましたが、年間成績では上位にきたり中位になったりしていました。

2009年からはクラブOBの反町康治が監督に就任し、チームを昇格できるクラブへと立て直す取り組みが行われ、好調を維持したまま勝ち進み、11シーズンぶりのJ1昇格を果たしました。

2010年からはJ1でプレーすることになり、上位を目指していきますが、選手の不調などで低迷が続き、当時のJ1で過去最低の成績で最下位での降格になりました、

2011年から再びJ2でプレーすることになり、昇格を目指すも低迷が続き、思うような勝ち方ができないまま、年間14位で昇格はできませんでした。

2012年からは曺貴裁が監督に就任し、開幕から好調を維持したまま勝ち進み、自動昇格圏内に入り、3年ぶりのJ1復帰を果たしました。

2013年はJ1でプレーしますが1年で降格し、2014年はJ2でプレーし優勝を決めて昇格を決め、2015年は年間8位で残留を決めますが、2016年に降格します。

湘南ベルマーレは、近年では毎年のように主力選手が抜かれますが、それでも再び勝ちあがろうと努力し、また強いクラブになっていくことができる、独特のスタイルを持ったクラブになりました。