Jリーグで最も人気が高い!赤が魅力の浦和レッズ

埼玉県さいたま市(旧浦和市)をホームタウンとしているクラブで、Jリーグの中でもかなり人気の高いクラブの1つが「浦和レッズ」です。

正式名称は「浦和レッドダイヤモンズ」で、多くのサポーターは親しみやすいように「レッズ」と呼んでおり、メディアでも略称で呼ばれることが多いです。

チーム名は、ダイヤモンドの最高の輝きと固い結束力に由来し、チームカラーであるレッドと組み合わせて名づけられました。

1950年に創部された三菱自動車工業サッカー部が前身で、1991年にJリーグに加盟した「オリジナル10」の1つです。

ホームスタジアムは埼玉スタジアム2002で、サッカー専用に作られたスタジアムで、浦和のホームでの試合はここで行われます。

国内の3大サッカータイトルを全て獲得しているクラブの1つで、Jリーグの中では初めてAFCチャンピオンズリーグで優勝したクラブでもあります。

運営会社は浦和レッドダイヤモンズ株式会社で、三菱自動車工業が出資して設立され、埼玉県や浦和市(現・さいたま市)も出資しています。

2016年には筆頭株主の三菱自動車が日産自動車の傘下になったことで、経営状況がJリーグの規約に抵触する可能性があると問題視されました。

その後、三菱自動車が三菱重工と共同出資して「ダイヤモンドFCパートナーズ」を設立し、同社に株式を譲渡する形で問題を解決しました。

浦和レッズは、当時の浦和市が地元のプロチームを作ろうと考えており、三菱自動車と協力して同社サッカー部を母体に設立されました。

1991年にJリーグに加盟し、翌年には天皇杯でベスト4まで進出し、当時としてはまずまずの成績でシーズンを終えました。

1993年以降は、クラブにとっては低迷が続くようになり、目標としていた優勝は程遠いものとなり、しばらく苦戦を強いられてきました。

1995年からは補強を積極的に行うようになりますが、それでも中位にとどまることが多くなり、1999年にはメディアで大きく報じられるほどのJ2降格を経験します。

2000年はJ2で戦うことになり、リーグ戦では様々な課題を抱えながらも、かろうじてJ1昇格を達成し、1年にしてJ1復帰を果たします。

2001年からの昇格後は、Jリーグ優勝を目標にして戦うようになり、低迷もありながらも、それでもクラブとしては明確な目標を示し続けました。

そして2005年には、Jリーグ発足後初めてとなる天皇杯優勝を達成し、2007年のAFCチャンピオンズリーグの出場権も獲得しました。

翌年のリーグ戦では、クラブ初のリーグ優勝を果たし、J2降格経験のあるクラブでは浦和が初めて年間優勝になった事例となりました。

2007年のAFCチャンピオンズリーグは無敗で優勝し、FIFAクラブワールドカップのアジア代表になり、同大会で3位になりました。

国内のタイトルは、そのほかにJリーグカップで2回優勝しており、今後もタイトルを狙い続けるような戦いに大きな期待がかかっています。