J1でのタイトル獲得を狙う!挑戦し続ける川崎フロンターレ

神奈川県川崎市には現在、J1でプレーしている川崎フロンターレというチームがあり、川崎市民を中心に多くの人々から応援を受けています。

1955年に創設された富士通サッカー部が前身で、1997年にJリーグ準会員になり、1999年にJリーグに加盟します。

ホームスタジアムは川崎市中原区の等々力陸上競技場で、クラブの名称の「フロンターレ」はイタリア語で「正面の、前飾り」を意味し、「常に最前線で挑戦し正面から正々堂々と戦う」という思いが込められています。

現在も富士通がクラブの株主となっており、富士通にはアメリカンフットボールやバスケットボールなどのチームがあり、いずれも川崎市を本拠地としています。

1955年から富士通サッカー部として活動を行い、1996年に「富士通川崎フットボールクラブ」に改称し、1997年に公募によって現在の名称になりました。

1997年から1998年まではJFLでプレーし、親会社の富士通の豊富な資金を生かしてチームを補強していき、チーム強化を行ってきました。

1999年からJリーグに参加し、この年から開始したJ2から参戦するかたちとなり、11月にJ1昇格が決定し、後にJ2優勝を果たしました。

2000年からJ1でプレーすることになりますが、シーズン開始から低迷が続き、残留争いにも負けてわずか1年でJ2降格になりました。

2001年からは再びJ2でプレーすることになり、J1昇格を目指して取り組んでいきますが、昇格争いに入るもなかなか昇格が決められませんでした。

2004年には鹿島でコーチを務めた関塚隆が監督に就任し、開幕してから首位を独走し、同年9月にJ1昇格を決め、翌月にJ2優勝を決めました。

2005年からJ1でシーズンを迎え、地域密着にも力を入れるようになり、シーズン成績を8位で終えて、最低条件だったJ1残留を果たしました。

以降もJ1で定着するようになり、2006年にはリーグ戦で2位になり、クラブで初めてAFCチャンピオンズリーグ(ACL)出場権を獲得しました。

翌年の2007年のACLではグループステージで1位通過し準々決勝まで進出、同年のJリーグカップで準優勝、天皇杯はベスト4まで行きました。

2008年には、クラブ後援会の会員数が初の2万人を突破し、クラブの人気はますます高くなり、年々J1での初タイトルをかけて戦うことになります。

ホームの等々力陸上競技場はサポーターの声を受けて、2012年に大幅な改修を行い、川崎を代表するクラブとなっていきました。

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現在もJ1の上位に入る戦いを見せており、J1でのタイトルの獲得を目指し、日々勝利のために取り組んでいます。

川崎市にはかつて、同じJリーグのヴェルディ川崎というクラブがあり、フロンターレがJリーグに入ってからは「川崎ダービー」が行われました。

2001年にヴェルディが東京都に本拠地を移したため、川崎市にはフロンターレのみが存在しますが、新聞などでは区別するために、フロンターレを「川崎F」という略称で書かれており、現在でもその略称が使用されることがあります。