サッカー王国きっての名門!サックスブルーのジュビロ磐田

静岡県は日本きってのサッカー王国と呼ばれており、Jリーグでも静岡県出身者が活躍しており、県内を本拠地としているクラブの活動も盛んです。

その中でもジュビロ磐田はJリーグきっての名門クラブであり、現在でも魅力のあるクラブの1つで、チームカラーのサックスブルーが人気です。

ホームタウンは静岡県磐田市、ホームスタジアムは市内にある「ヤマハスタジアム(磐田)」で、サッカーなどの試合で使用されています。

1972年に創設されたヤマハ発動機サッカー部が前身で、運営会社は「株式会社ジュビロ」でヤマハ発動機をはじめとする地元企業が主要株主となっています。

チーム名の「ジュビロ」は、ポルトガル語やイタリア語で「歓喜」を意味する言葉で、勝利した時の喜びが感じられるイメージです。

1972年にヤマハ発動機サッカー部が創設され、1992年にJリーグの準会員として承認され、翌年のJFL準優勝をきっかけにJリーグに加盟しました。

Jリーグに加盟してからは、様々な選手が加入していき、今日までの歴史を作るだけでなく、勝利も積み重ねていきました。

1997年には当時のリーグ戦で2ndステージ優勝、チャンピオンシップでは1stステージ王者の鹿島を破って、年間優勝を果たしました。

翌年の1998年では1st首位・2nd2位になりましたが、チャンピオンシップでは鹿島に敗れ準優勝しましたが、ナビスコカップでは優勝しました。

1999年もその強さを発揮し、1stステージで優勝し、チャンピオンシップでは2nd王者の清水を破って、2度目の年間優勝を果たしました。

ちなみにこの年には、アジアクラブ選手権(現在のACL)において、見事初優勝を果たし、日本国内だけでなくアジアでもチャンピオンになっています。

2001年には1stステージで優勝、2ndステージで2位になりますが、チャンピオンシップでは鹿島に敗れて準優勝、その他の結果はナビスコカップ準優勝、天皇杯ベスト8となっています。

それ以降はアジアクラブ選手権で3年連続決勝進出、リーグ戦では優勝争いを繰り広げるなど、クラブとしての強さは健在でした。

しかし、2007年からはクラブ内で監督が交代するなど、様々なことが起こるようになり、成績が低迷するようになりました。

2008年にはリーグ戦でJ1で16位となり、J1・J2入れ替え戦に出場することになりましたが、この試合で勝利し、かろうじて残留しました。

以降は低迷することがたびたびあり、2013年に関してはその低迷が影響して、クラブとしては初めてとなるJ2降格を経験しました。

2014年のJ2では昇格プレーオフに進むも敗退、翌年のJ2では上位で戦いを進めていき、最終順位を2位としてJ1自動昇格を果たしました。

2016年から現在にかけてはJ1でプレーしており、過去の強かった時に戻るような取り組みが行われるようになり、上位を目指しています。

これまでのタイトルは、J1年間優勝3回、ステージ優勝合計6回、天皇杯1回、Jリーグカップ1回など、これまでの歴史の中で様々なタイトルを獲得しています。