ホームタウンは人口最少!佐賀を代表するサガン鳥栖

九州にもJリーグのクラブはいくつかありますが、2017年現在において唯一J1でプレーしている九州のクラブに「サガン鳥栖」があります。

サガン鳥栖は1997年に創設され、ホームタウンである佐賀県鳥栖市の人口は約7万3千人(2016年現在)は、Jリーグのクラブの中で最少です。

クラブの活動はホームタウンの鳥栖市だけでなく、県庁所在地の佐賀市やその他の都市で下部組織の活動などをおこなっており、佐賀県内で地域密着の活動をしています。

チーム名の「サガン」は、砂粒が固まって砂岩になるように小さい力を結集させるという思いが込められ、また「佐賀の」という意味も込められています。

運営会社は2005年以降は「株式会社サガンドリームズ」となっており、ホームスタジアムは鳥栖市内にあるベストアメニティスタジアムです。

1991年に佐賀県内でサッカークラブを誘致しようと、当時静岡県リーグにあったPJMフューチャーズを誘致し、1994年に鳥栖市で「鳥栖フューチャーズ」として活動を始めます。

Jリーグの準会員として承認されるも、経営難に陥り1997年に解散を発表、存続を求めるサポーターの希望により、その受け皿になるように作られたのがサガン鳥栖です。

チーム発足時は様々な団体からの支援を受けて、チームとして存在感を確立させて、1999年に発足したJ2からJリーグに参加することが決まりました。

当初は経営に関して大口のスポンサーを付けず小口の法人からの出資で進めてきましたが、初年度から赤字が続く結果でした。

2003年以降も経営の問題が続いており、リーグ戦の成績も低迷が続く結果となり、フロントでも問題が発生するなど、クラブとしては大変な時期がありました。

経営問題は運営会社の変更などで対応でき、クラブのリーグ成績は勝利を積み上げていけるようになり、J2では中位になることが多くなりました。

2006年からはJ1昇格の目標が明確化されるようになり、J2でも上位に入るなど、昇格の一歩手前まで行く結果になるようになりました。

それ以降は昇格争いに入ることがあり、それでも昇格ができない状況が続く中で、2011年からはクラブのOBでもある尹晶煥が監督に就任しました。

2011年のJ2では、勝利を積み重ねていき昇格争いに入るようになり、最終順位を2位で決めて、J2創設から13年目にして初のJ1昇格を果たしました。

2012年からはJ1でプレーを開始し、この年のシーズンではJ1残留を決め、昇格初年度では現在のJ1が18チームになってからは最高の5位となりました。

J2に降格するとの予想を覆す結果でJ1での一時代をスタートさせ、翌年の2013年の天皇杯では、クラブ初のベスト4まで進出します。

現在もJ1でのプレーを続けており、リーグ戦上位を狙いながらタイトル獲得も視野に入れる戦いも見せており、今後の活躍に期待できます。

現在はDHCやCygamesなどがスポンサーになっており、戦力の補強でもチームの特長を出しており、これからどんなチームになるのかも見どころです。