紆余曲折の歴史を歩んだ!初タイトルを狙うセレッソ大阪

大阪には2つのサッカークラブがあり、双方がJリーグで同じカテゴリーにいると、その年には「大阪ダービー」が行われます。

そのうちの1つであるセレッソ大阪は、大阪府大阪市・堺市をホームタウンとして活動しており、ピンクのチームカラーが特長です。

1957年に創立されたヤンマーディーゼルサッカー部が前身で、1995年にJリーグに加盟し、現在もJリーグでプレーし続けています。

チーム名の「セレッソ」はスペイン語で「桜」という意味があり、これは大阪市が市の花としている桜に由来するものです。

ホームスタジアムはヤンマースタジアム長居とキンチョウスタジアムが指定されており、試合によってどちらかが使用されています。

前身のヤンマーディーゼルサッカー部は、1957年の創部以来、JSL4回、JSLカップ2回、天皇杯3回の優勝経験があります。

1993年に、ヤンマーディーゼルサッカー部を母体にセレッソ大阪が設立され、この年からJFLでのプレーがスタートします。

1995年にJリーグに加盟し、J1でのプレーが始まりますが、その数年間では最多得点記録や連敗最長記録など、クラブやJリーグにとって良いものも悪いものもあらゆる記録を樹立します。

2001年のシーズンでは、1stステージで成績が低迷し、その影響があって監督が交代するだけでなくフロントでも役職の交代が起こり、低迷が続きJ2降格が決まりました。

ちなみにそのシーズンでは、天皇杯で決勝進出しましたが準優勝し、降格決定からは連勝が続いていたという結果でシーズンを終えました。

2002年はJ2でプレーし、クラブでプレーする数人の選手がワールドカップ日韓大会に出場し、成績により1年でのJ1昇格を決めました。

2003年からはJ1でプレーすることになり、2004年には降格の危機になるも見事残留し、2005年には優勝争いになるも、結果は年間5位となり優勝はなりませんでした。

2006年は前年の悔しさをバネに取り組みましたが、序盤から低迷が続き、監督が途中で交代するなど対策を行いましたが、J2降格が決まりました。

2007年からチームの立て直しが行われ、J1昇格を目指して取り組み、長い戦いの末に2009年にJ1昇格を決めました。

2010年からは再びJ1でプレーし、この年は優勝争いに入り年間3位、J1では過去最高の成績になりACL出場も果たしました。

2012年には残留争いになり、2013年には年間4位でACL出場、2014年に再びJ2降格になるといったように、この3年間で紆余曲折を経てきました。

2015年のJ2では昇格プレーオフに進むも敗退、翌年の昇格プレーオフでは見事勝ち上がり、プレーオフからの昇格を果たしました。

2017年現在はJ1で上位に入っており、ルヴァンカップでは決勝進出に進むなど、これまでとは違う強さを見せています。

また、このクラブには「セレッソ大阪U-23」というチームがあり、23歳以下の選手が参加し、2016年からJ3でプレーしています。